2022.12.19
身近雑記
第146回 真の健康増進を達成した乳酸菌生産物質プロジェクト
第二次世界大戦直後から、高度経済成長期にかけて様々な分野で製品開発のプロジェクトがありましたが、そのプロジェクトの難問をどのように克服して成功に至ったかをドキュメント番組にした、NHKの人気番組「プロジェクトX」をご覧になった方が多いと思います。
私は乳酸菌生産物質も長い年月をかけた「プロジェクトX」であったと、過去の様々な出来事を想い起こしております。
プロジェクトの始まりは先代の研究所長、正垣一義先生が中国の大連にあった大谷光瑞農芸化学研究所にて、大正時代から継承して来た乳酸菌飲料の製造方法を、生きた菌から菌の分泌物(代謝物)に大転換する研究をして、1944年、第二次世界大戦の終戦の1年前に16種の乳酸菌の共棲培養による方式を完成した事にあります。
終戦後1948年に東京・銀座に寿光製薬株式会社を設立して、乳酸菌の代謝物による製品「スティルヤング」を製造販売して全国に拡販活動を開始しました。
1949年、1950年と2回に渡り国会にて「長寿論と有効細菌」の講演を行い、戦後の日本の復興のための健康必需品として国家の普及活動を促しております。
その後、社名を義報社と改めた会社の研究所(大谷光瑞農芸化学研究所)に1959年に私は入社しました。
そして、20歳代前半は研究と商品製造に従事し、後半は研究所の技師としての肩書にて、販売普及活動に従事したのです。
当時は大手企業10社以上から、事業提携や技術提携の要請がありましたが、契約の最終の交渉になると正垣所長のポリシーである「世界の人々の健康増進に貢献する」にそぐわないという事態になり成立したことがありませんでした。
そして、私が29歳の時に経済的に立ち行かなくなり、研究と開発の成果の灯を消してはいけないと、正垣所長の特命により光英科学研究所の創業へ移行したのです。
そして、私は子供の頃から興味のあった無線機の会社に勤めて、時間の許す限りコンサルタントの方と乳酸菌生産物質の企業化のために邁進したのです。
二足の草鞋で歩むこと25年、54歳の時に全国に販売組織のある会社に出会い、工場も建設するという幸運に巡り合って光英科学研究所の法人化が出来たのです。
そして9年後の2003年に16種35株の共棲培養技術が確立し、この「プロジェクトX」は完成しました。
なんと開始から59年を紡いだ長期に渡る「プロジェクト」でしたが、そこには愛用者の皆様の弛まないご支援があったからこそ完成したと感謝に堪えません。
最近は単一菌株の乳酸菌の機能性表示食品が市場を賑わせていますが、16種35株の菌株にて総合的に健康に寄与できるのは、乳酸菌生産物質を置いて他にはないと自負しております。
私は12月19日にて82歳になります。
今年のブログは今回で14報になりますが、お読みいただきありがとうございました。
年を越すにあたり厚く御礼申し上げ、皆様の一層のご健勝をお祈り申し上げます。
近年は健康食品市場だけでなく、一般的にも「健康には乳酸菌」という概念が定着しつつあります。
しかし、人の健康に役立つのは乳酸菌そのものだけではなく、その代謝物である「乳酸菌生産物質」がより重要です。
この本には、16種35株のビフィズス菌を含む乳酸菌の共棲培養技術のノウハウや、「乳酸菌生産物質」の商品化の知識など、私の視点から見た「乳酸菌生産物質」に関する情報が余すところなく盛り込まれております。
ぜひ第1巻に続き、第2巻もお手元で開いていただければ幸いです。
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